年末

年末になるといつもK君のことを思い出す。K君は勉強もできて、運動もできて、おまけに顔もかっこよかったものだからそれはそれは女子にもてていた。K君とは小学6年生のとき同じクラスになり、それまではあまり会話したことがなかったが、一緒に学級委員をつとめたことでそれなりに仲良くなった。放課後に彼と二人で残って委員会の作業をしたときはちょっとしたドキドキと、ほかの女子に対するちょっとした優越感を感じたものだった。

私が通った小学校は全校児童が1000人近くいる比較的大きな学校で、卒業後は全員が同じ中学校に進学した。私は親の方針で皆とは別の中学校に進学することになった。中学入学後、最初のうちは小学校時代の友人とメールで連絡を取り合っていたが、月日が経つにつれなんとなく疎遠になっていった。K君とはそもそも連絡先の交換もしていなかったので彼のことを思い出すような機会はなくなっていた。

中学に入学してから初めて迎える12月、あれはクリスマスも終わったころだった。携帯を見ると小学校時代の友人からメールが届いていた。

「K君やけどさ、亡くなったんやってさ」

久しぶりに届いたメールはK君の死を知らせるものだった。

 

「お焼香は、どうやってやるの。」

葬式に参列するのは初めてだった。いま思い起こすと、呑気な声でそう尋ねたものだった。母はハンカチで目を押さえながら、「ほんとう、気の毒で、気の毒で、何て声をかけていいのか、わからない」と声を詰まらせて言った。答えになっていない台詞を聞いた途端、私は唐突に自分のことがいたたまれなくなり、慌てて俯いた、そして古びたローファーの先をじいっと見つめて黙りこけた。自分の焼香の番が回ってきて、棺の前へと進むと、棺の中に横たわる彼の顔が見えた。トラックに轢かれたせいかすこし痣ができていた。その顔には血の気がなかったが、たくさんの白い花に囲まれて、ただ眠っているだけのように思えた。K君、と声をかければ目を覚まして起き上がるんじゃないかと思うくらい。数ヶ月会わなかっただけでこんなに人の死に対して実感がわかないものなのかと思った。それとも私が無感動で無関心な人間になってしまったのか。ざわつく教室の中にひとつだけ誰も座らない机がある様子を想像した。最後まで涙は出なかった。

それから10年以上経った今でも、私は痣ができた彼の顔を思い出すことができる。手についた抹香のにおいを思い出すことができる。彼の死は当時中学一年生だった私に大きな衝撃を与えたのだろうと思う。ときどき自分が死んだときのことを想像する。職場の事務所に、ひとつだけ誰も座らないデスクがある。そこに座る人間がいないことを誰もが知っている。私の意識は眠っているときのようにどこにも存在しない。そんな場面を想像しながら私は眠りにつき、意識を手離す。・・・