3月1日

あっという間に2月が終わってしまった。2月が28日までしかないのを忘れてた。
4月から一人暮らしを始めることになり(人生で初めての一人暮らし)、物件や入居日は決まったのだけれど家電や家具をどうしよう引越しどうしよう、といま非常にあたふたしている。また落ち着いたらブログを書いていきたい。
あと、一人暮らしをしているまたはこれから始めるという方のブログを読むのにはまっているのでもっと増えろ〜!と日々念じている。

年末

年末になるといつもK君のことを思い出す。K君は勉強もできて、運動もできて、おまけに顔もかっこよかったものだからそれはそれは女子にもてていた。K君とは小学6年生のとき同じクラスになり、それまではあまり会話したことがなかったが、一緒に学級委員をつとめたことでそれなりに仲良くなった。放課後に彼と二人で残って委員会の作業をしたときはちょっとしたドキドキと、ほかの女子に対するちょっとした優越感を感じたものだった。

私が通った小学校は全校児童が1000人近くいる比較的大きな学校で、卒業後は全員が同じ中学校に進学した。私は親の方針で皆とは別の中学校に進学することになった。中学入学後、最初のうちは小学校時代の友人とメールで連絡を取り合っていたが、月日が経つにつれなんとなく疎遠になっていった。K君とはそもそも連絡先の交換もしていなかったので彼のことを思い出すような機会はなくなっていた。

中学に入学してから初めて迎える12月、あれはクリスマスも終わったころだった。携帯を見ると小学校時代の友人からメールが届いていた。

「K君やけどさ、亡くなったんやってさ」

久しぶりに届いたメールはK君の死を知らせるものだった。

 

「お焼香は、どうやってやるの。」

葬式に参列するのは初めてだった。いま思い起こすと、呑気な声でそう尋ねたものだった。母はハンカチで目を押さえながら、「ほんとう、気の毒で、気の毒で、何て声をかけていいのか、わからない」と声を詰まらせて言った。答えになっていない台詞を聞いた途端、私は唐突に自分のことがいたたまれなくなり、慌てて俯いた、そして古びたローファーの先をじいっと見つめて黙りこけた。自分の焼香の番が回ってきて、棺の前へと進むと、棺の中に横たわる彼の顔が見えた。トラックに轢かれたせいかすこし痣ができていた。その顔には血の気がなかったが、たくさんの白い花に囲まれて、ただ眠っているだけのように思えた。K君、と声をかければ目を覚まして起き上がるんじゃないかと思うくらい。数ヶ月会わなかっただけでこんなに人の死に対して実感がわかないものなのかと思った。それとも私が無感動で無関心な人間になってしまったのか。ざわつく教室の中にひとつだけ誰も座らない机がある様子を想像した。最後まで涙は出なかった。

それから10年以上経った今でも、私は痣ができた彼の顔を思い出すことができる。手についた抹香のにおいを思い出すことができる。彼の死は当時中学一年生だった私に大きな衝撃を与えたのだろうと思う。ときどき自分が死んだときのことを想像する。職場の事務所に、ひとつだけ誰も座らないデスクがある。そこに座る人間がいないことを誰もが知っている。私の意識は眠っているときのようにどこにも存在しない。そんな場面を想像しながら私は眠りにつき、意識を手離す。・・・

仕事にて。

先日仕事でお会いした人にいきなり「占い、やります?」と話しかけられた。何か怪しい宗教の勧誘か?どうやって断ろうか、と身構えたが私の隣にいた先輩は去年も同じようなことを言われたらしく「あ、例の占いですか」とちょっと苦笑していた。

その占いは、人間の性格をいくつかのグループに分類し、生年月日をもとにその人がどのグループに属するかを決定するというものだった。グループによって運気が異なり、今後どう動けば成功するかなども決まってくるらしい。

その人がウキウキしながら生年月日を聞いてくるのでとりあえず占ってもらったところ、あなたは協調性はないがクリエイティブなことに向いている(私はいわゆるサービス業に就いているので職業選択間違えたか!)、運気は今後どんどん下がっていくので気をつけたほうがいい、あなたの隣の先輩は運気が上がっていく傾向にあるから先輩にどんどん話しかけると吉、今月はお金を使いすぎないよう注意!という結果だった。占いだけでその人は30分くらい喋っていた。そして別れ際には占いたかったらいつでも来てください!職場でも広めてくださいね!とまで言われてしまった。なんだかものすごいエネルギーに満ち溢れた人だったのでちょっと怖かった。

職場に戻る車の中で、占いの結果はその人が当たっていると思えばそうなんだろうし、どの人にも当てはまることだから信じるも信じないもその人次第だよね〜という話を先輩とした。占いを糸口にして話題を作れるのはいいことなのかもしれないけど、鰯の頭も信心から、という故事もあるくらいだからねえ。と先輩は笑っていた。ちなみに先輩は繊細だが人の話を聞かない性格で、実はキレやすい人、という占い結果だった。普段優しい人ほどキレると怖いというので、キレるという行為から程遠いこの人を怒らせてはいけない…占いもあながち外れてないぞ…と思ったことは口が裂けても言えない。

脳が揺れた話

先日脳震盪を起こした。

その日は雨が降っていて階段が濡れていたし、その日に限って底が擦り切れてつるつるになったクロックスを履いていたからだと思う。彼氏さん(雨男)の住むアパートの階段を下りていたとき、足を滑らせ、私はその場で思いきりしりもちをついてしまった。幸いにも私のちょうど前を雨男が歩いていたので階段から転げ落ちるようなことはなかったが、お尻から落ちたときの激痛といったら、もう、「痛い」と発する余裕もなく、「あ゛がが」と声にならない声が出たほどである。雨男もそんな私を見て(おそらく見慣れている)、笑いをこらえきれない様子だった。

しかし、このあたりから足がふらつきはじめ、もう一段降りたところで私は再びしりもちをついた。今度は声も出なかった。手を引かれて立ち上がりなんとか階段の下まで降りたものの、視界がぐらついてアスファルトの上に座り込んでしまった。お尻を打っただけなのに、おかしいな、と思いながら、雨男のいったん部屋に戻って休むかという提案にうなずく。しかし立ち上がろうにも足に力が入らない。雨男の脇に抱えられ、階段の一段目に足をかけるのがやっとだった。この階段はこんなに一段一段が高いものだったかと遠のく意識の中で考えた。視界はテレビ画面の砂嵐のように途切れ途切れで、画面の端にときたまクロックスの黒いつま先が映り込んだ。そのつま先は、一歩ずつ、踏面を踏みしめて、階段をのぼって行く。それからは視界がほとんど真っ白に塗りつぶされ何もわからなくなった。もう少しだ、頑張れ、という雨男の声がどこか遠くから響いていた。

いきなり視界が開けたのは、救急車呼ぶぞ!という切羽詰まった声がした瞬間だった。そのとき私は玄関からワンルームの部屋に入ったところにいた。いたというかその場に膝をついていて、床が眼前に迫っている状況だった。慌てて手をついて立ち上がり、ふらつきながら傍のベッドに倒れこんだ。視界がクリアになると、同時に、耳の奥でジーッと蝉が鳴き出した。蝉が鳴いてる…とつぶやくと雨男は怪訝そうな顔をして大丈夫かよと言った。ちょっと休んでから帰る、ごめん、と答えて私は目を瞑った。走馬灯は見えなかった。まだ死ぬわけじゃないのか、と他人事のように思った。

しばらくすると耳の奥の蝉は鳴きやみどこかへ行ってしまった。(代わりに、思い出したようにお尻から激痛がやってきて、軽く2週間はその痛みに苦しんだ。車に乗ったり降りたりする動作って、結構お尻の筋肉(?)を使うんだなあ…と一日一回はつぶやいてた気がする。)その日の夕方、自宅に帰ってから病院に行き診察を受けたところ、話をきくに脳震盪ですね、吐き気もなくこれだけ普通に歩いて喋ってるので出血とかもないと思いますけどCT撮ります?あ、撮れって言ってるわけじゃないですよ、僕が貴方だったら撮りませんけどね、放射線を普段よりちょっと多く浴びるってことに抵抗があるならやめてもいいですし、親さんが心配なら(この時は母が心配してついて来ていた)撮りましょうか、と医師に言われ念のためCTを撮った。ああ~今月医療費かかる~しかも休日診療だから余計に金かかる〜~あああ~~~と嘆いていたら母に体のためだから撮りなさい!と言われてしまった。

撮影後は画像を見せてもらいながら出血もなく異常なしですという旨の説明を受けた。医師によると脳震盪を起こしてから8時間以内に体調に急な変化がなければよっぽど大丈夫です、ただ万一のこともあるので一晩様子は見てください、とのことだった。その日の夜は明日の朝目が覚めなかったらどうしよう葬式には誰が来てくれるだろうかと想像しながら眠りについた。

次の朝はすぐにやってきて、普段通り職場に行って仕事をした。運が悪かったら死んでたかもしれないのにいつもと変わらない一日を送っているのは変な感じだった。お尻の痛みはなかなかひかず、確かにあの休日はあったのだということを私に何度も思い出させた。せっかくなので一連の出来事を書き残しておこうと思う。